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io (庵)の扉を開きました。

更新日:9月17日

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2019年に私たちが最初にこのまちで作った空間作品であり小さな古民家。

一年目は「賜mono家」として自然酒と甘味処として営業し、

手作りの甘味やナチュールワインなどの自然酒、お塩や味噌・お醤油を置いたりライブイベントを行ったりと、私たちの好きなことを詰め込んだ暮らしの延長のようなお店を運営していました。


その後、新型ウイルス感染症拡大によりやむなく休業し、その夏には令和2年7月豪雨で湯平地区が被災。

当時の自宅だった空き家バンクの貸家は、氾濫した川のすぐそばだっため大家さんが心配だということで、家を移ることに。その時にこの庵があったことで、仮暮らしの場としてスムーズに移行できて、まるでそのために用意されてたかのようでした。本当に助かった。。


山奥の秘湯なので、やはり友人が来たら泊まれるようにしたいし、何かあったときにシェルターになるような小屋でありたい。そんな最初の思いがそのまま自分を助けることになるなんて。 でも、大抵そういうものかもしれない。と、激動だったあの時期の自分の直感に腑に落ちていたり。


とにかく、この庵との出会いも流れもとても大切な物語の一節。

ただこの話は長くなるので、また別の場所で。


ちなみに元の持ち主の方も、抽象画家で私のよく知る大分の美術家の皆さんの先輩だったり、面白いご縁なのです。


そんな小さな古民家の建物そのものに名前をつけたのは 2022年のことだったかな。 自身を含め色んなアーティストや仲間達と大変に手をかけて愉快に作った空間だったので、作品としての名前をつけたいなと思って見つめていると、目の前には愛おしくも簡素で粗雑な家。それをそのまま日本語辞典では庵とも呼ぶという。 調べていく中で、文筆家や俳句人(はたまた世捨て人?)が篭って制作したりするような場所を「庵」と呼んだということも重ねて、庵は今でいうアトリエなんだろうなという自分解釈と、さらに「庵」の昔の読み方が「イオ」だったことを知り、古くもあり新しい記号のような趣もある「io」とすることに。

私たちが新居をリノベーションして引っ越しを完了した後は、さらに移住希望者のアーティスト2人が仮暮らしに使ったりと、存分に役目を果たしつつ、io は2025年7月やっと公に扉を開きました。


再開祝賀イベントの当日は、大阪からおもしろ紙芝居のふろん茶が来てくれて、笑いの一興も添えてくださり、久しぶりに、地域の方や友人達をお客様として迎えることができました。

ありがたき幸せ。やっとここまで来たかと私の中の復興が一つ遂げられました。感無量です。

私たちの基地の復興=今後は、不定期の喫茶店営業とともに、YUNOHIRA ART SIGHTの事務局としても様々な企画や打ち合わせ、アーティストの宿泊などで活用予定です。


こちらもレンタルスペースやシェアショップとしても活用できますので、何か閃いたらお気軽にお問い合わせください♪





Written By MAW|渡邉まさみ



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